B_Otaku のクルマ日記


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2018/10/20 (Sat)  BMW X7 (2019)

SUV ブームにより、高級車市場もセダンから SUV へ移行するという現象もある事から、各車 SUV の開発に力を入れて益々高級化路線を走り出しているが、BMW は遂に上級サルーンである7シリーズのクラスに新型 SUV すなわち X7 を投入してきた。

外観は誰が見ても BMW の X シリーズだが、写真で見てもその大きさと迫力が感じられるくらいだ。特にフロントのキドニーグリルのえげつなさはメルセデス真っ青という感じがする。

BMW の場合リアークォーターウィンドウは小さ目なのだが、X7はそのサイズもありグラスエリアが広く、全体的に余裕がある。

インテリアは最新の BMW らしく電子化されている、と同時に高級感も半端でないのは ”7” だから当然だが。

メーターは全面がカラー液晶化されたのは新3シリーズと同様で、センタークラスターのデザインも次期3シリーズと雰囲気が似ているが、勿論クロームやらウッドトリムやら惜しげも無く使っている。

コンール上のデザインも新3シリーズなど最新のモデルと同じ基本デザインだが、勿論高級感では3シリーズなど目じゃあ無い。写真でも伊達に ”7” を名乗っていないのが判る。

今の世の中、日本でも格差社会となった現在では、都心へ行けば高級輸入車を運転するオバちゃんが高級スーパーで買い物をする姿は幾らでも見る事が出来る。というか、高級スーパ―にはBMWなんて当たり前であり、むしろ自転車の前後の荷台に子供を乗せた母親の方が珍しいくらいだ。

なお詳細は例によって下記にて。
  ⇒ https://www.netcarshow.com/bmw/2019-x7/







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2018/10/19 (Fri)  1960年代の国産車<5>

前回までの 60年代の国産小型車に続いて、話は更に小さい大衆車クラスへと進める。それで今回のアイテムでは最初のパブリカのみは 1955年通商産業省により国民車構想を参考に開発されたクルマで、他の3車とは本来クラスが異なっている。というと同じ国民車構想い基づく三菱500 は如何した、という突っ込みが来そうだが、まああれは創世記に咲いたあだ花という事で、その内機会があったらば取り上げる事にする。

パブリカの車両重量はあっと驚く 580㎏ で、現代の軽自動車の中でも軽量なスズキ アルト X の 650㎏ よりも 70kg も軽い。そのアルトのアウターサイズ、全長 x 全幅 x 全高は 3,395×1,475×1,500㎜ 、ホイールベースは 2,460㎜ で、これはパブリカに比べると全長が-125㎜ 全幅が+60㎜ 全高は+120㎜、そしてホイールベースは 330㎜ も長く、全長以外はパブリカの方が小さいのだった。またアルトのタイヤは 165/55R15 で、パブリカの 6.00-12 に相当するメートル表示では 155/85-12 となり、アルトの方が幅が一サイズ広く、ホイールに至っては3サイズも大きいという結果で、いやまあ今の軽は馬鹿に出来ないというか、この半世紀の技術の進化を思い知るところだ。

それでパブリカだが、エンジンは空冷水平対向2気筒というシトロエンばりのもので、本当はシトロエンのように FWD にしたかったようだが、当時の日本の技術では不可能だった。走り時代は非力な2気筒エンジンにも関わらず軽量な事もあり、信号からのスタートダッシュではダットサン1000などよりも速く、他車を引き離して先頭を切っていったくらいだった。パブリカの動力性能が良いもう一つの理由は当時 3速が当たり前の MT がコラムシフトとは言え 4速だった事も貢献していた‥‥と思う。

次のマツダ ファミリアは、オート三輪のメーカーだったマツダが乗用車市場に参入する為に開発した大衆車クラスの車で、1964年という発売時期はサニーやカローラよりも2年程早かった。実は当時マツダはロータリーエンジンの開発に多くの開発資源を投入していた事もあり、このファミリアはイマイチだった。しかし1967年に発売された2代目ファミリアは、翌年ロータリーエンジン搭載のファミリアブレスト ロータリークーペの発売で、買い易い価格帯のロータリーとしは初のモデルが大いに話題を集めるのだった。そのために初代ファミリアはその間を埋めるために咲いたあだ花という感じだろうか。

ブルーバードが好調だった日産が満を持しての発売に踏み切ったの大衆車が 1964年4月発売の初代サニー (B10) だった。当時は大いなる話題で、ブルーバードの70万円に比べて 40万円くらいで買えた覚えがあるから、軽自動車にチョイと上乗せするだけで充分な広さと動力性能のクルマが買えた訳で、それゃ話題になる訳だ。しかしサニーはイマイチカッコが悪かった覚えがある。特にリアの居住性確保の為にフール後端まで水平に伸ばしたラインは、言い換えればスポーティーさが無く、ダサい雰囲気があった。

そんな状況でサニーより約半年後に発売されたのがカローラで、パブリカの失敗で痛い面あったトヨタは見掛けの良さを第一として、さらにサニーの1000に比べて100㏄ アップの 1100 (本当は1077) というインチキ臭い差別化でサイズも微妙に大きく、当時テレビCMでは「隣のクルマが小さく見えま~す」何て言うあからさまなサニーとの比較をやって、これが見事に大衆の心理を掴んだのだった。カローラのエクステリアは四角四面でスペース効率の良いサニーに対して、曲線を使って高級感を強調したモノで、どう考えても素人にはサニーより勝っていた。そして室内はスポーティーで、セパレートシートにフロアシフトというスポーツカー並みのレイアウトと宣伝していた。そのフロアシフトは、実は随分手前の方から長~いレバーが伸びていて、まあスポーツカーというよりはバス・トラックの部類だったが、そこはレバーを寝かせたりして上手く誤魔化していた。

勿論この戦いはカローラの圧勝で、この辺りから日本のトップメーカーが日産からトヨタに移って行く流れが出来始めたのだった。

60年代のクルマの話はまだまだ尽き無いので‥‥

またまた次回を、乞うご期待!

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2018/10/17 (Wed)  1960年代の国産車<4>

前回は60年代の国産小型車として日産 ブルーバードとトヨタ コロナという2大メジャーブランドを取り上げたが、今回はプリンス、いすゞ、日野、三菱について纏める事にする。下表にその仕様一覧を示すが、これらは元々マイナーな車種であり、しかも半世紀以上が経過している事から益々資料に乏しく、内容も多少怪しい事もあり、飽く迄参考としてもらいたい。

プリンススカイラインは初代ALSI-1型が1957年に発売されたが、これはグロリアと共通のボディーやシャーシーを持ち内装を差別化したもので、車体サイズは小型とは言えなかった。そして1963年に発売された2代目 S50型ではグロリアとは全く異なる小型車として設計されていて、どちらかと言えばスポーツテイストのクルマでありそれなりの人気があった。特に日本グランプリに出場する為に急遽ボンネットを伸ばしてグロリア用6気筒 2.0L エンジンを押しこんだクルマはその後スカイラインGT として市販され当時のマニア憧れの一台だった。そしてこれこそが "スカG" のルーツとなった。

次に今でこそバスやトラック等の商用車の専門メーカーとなったいすゞだが、当時は乗用車も生産していて、この連載の2回目で取り上げたベレル等があるが、そのベレルが失敗作だったのに比べて小型車のべレットは丸みを帯びた少し小さ目のボディーから来るスポーティーな雰囲気もあり、スポーティ-さではスカイラインと良いライバルだった。べレットの特徴はリアに独立懸架を使用した事によるハンドリングの良さだが、これがスイングアクスルという大きくキャンバーが変わる事から限界を超えると急激な挙動変化が起こるという問題もあった。なお、このべレットを2ドアクーペとして高出力エンジンを搭載したべレットGTは通称 "ベレG" と呼ばれ、スカG と共にこの市場を2分していた。

なおいすゞは1953年から英国ルーツ車のヒルマンミンクスという高級車の完全ノックダウンを行っていて、それがいすゞの乗用車技術の元となっていた。

いすゞと共に現在は商用車メーカーとなっている日野だが、これまた60年代は乗用車生産を行っていた。それも1953年からフランスのルノー公団の 4CV のノックダウン生産を行っていて、その技術を元に1961年に初代コンテッサ 900 を発売したが、これはルノーの影響が大きく小型クラスよりも小さいクルマだった。それが2代目ではコンテッサ 1300となり、クラスとしてはコロナなどと同じカテゴリーのクルマとなった。コンテッサがライバルと大きく異なるのはこのクルマもルノーをお手本とした事からリアーエンジンという他の国産車とは異なるレイアウトを採用していた事で、メリットもデメリットもこれに起因していた。それで売り上げはと言えば、このクルマを最後に日野は乗用車から撤退した事実を見ても判る通りに‥‥失敗作だった。

最後は三菱自動車(当時は新三菱重工業という社名だった)だが、その三菱が1960年に発売したのがコルト 500という国民車ともいえるクラスの車種で、その後 1962年には少し大きいコルト600を、更に1963年にはコルト1000というように矢継ぎ早に新型車を発売していった。 このコルト1000にベースとした小型車が今回のコルト1500で、しかしこれは強力なライバルと対抗するだけの大きな特徴も無く、販売は低調だった。三菱が息を吹き返したのは次期モデルのコルトギャラン (1969年) からだった。

今回の4車はスカイラインについては今でも続く名門ブランドとなっているが、そもそも当時のプリンス自動車は日産に事実上は吸収されている。またべレットとコンテッサは両社共に現在は乗用車から撤退している。実はいすゞ自動車というのは渋沢系の名門企業であり、その名も石川島自動車に始まり終戦前には日本自動車という社名だったくらいで、日本ですよ、日本! それでは日野自動車はといえば実は日本自動車の日野事業所が独立したもので、ルーツは同じだったのだ。そして残る三菱はひん死の状態で日産グループとなったなど、何れも厳しい歴史を体験してきているのだった。

次回は大衆車に話を進める。

乞うご期待!

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2018/10/16 (Tue)  1960年代の国産車<3>

1960年代の国産車、前回迄は5ナンバーフルサイズ、当時としては高級セダンである5車を取り上げたが今回はそれより一つ下のクラス、いわゆる小型車を扱う事にする。その前に1950年代に遡ってトヨタ-日産の戦いの初戦を見ると、日産はダットサン 210 (1957年) でトヨタはコロナ T10 (1957年) の2車がある。なお今回はトヨタ-日産では無く、日産-トヨタとしているのはこの時代は日産の方が技術力も販売台数も上回っていたからだ。

それで前述の2車を比べてみれば 210 はダットサン1000とも呼ばれていた当時の代表的小型車で、エンジンはOHV 988㏄ 34ps であったがコロナ T10 はサイドバルブ 995㏄ 27ps と時代遅れのモノだった。因みに T10 はそのずんぐりとしたスタイルから通称「ダルマコロナ」と呼ばれていた。

その後ダットサン1000 は1969年にブルーバード 310 へと FMC され、一年遅れてトヨタもコロナ T20 となった。そしてブルーバードは4年後の1963年には 411 へと進化し、対するトヨタは同じく T20 から4年後の1964年には T40系へと FMC された。要するに常にトヨタは日産よりも1年遅れで必死について行った、という状況だった。

初代ブルーバードとなる 311系はダットサン 1000 (211系) に比べるとスタイルが近代化されたが、世界の標準からは少し遅れ気味だったようだ。ボディーはセミモノコックでフロントサスペンションは独立化されるなど、ダットサン1000のトラックの流用的なモノからは大いに乗用車的に進化した。このモデルにはファンシーデラックスという女性向けのグレードを用意するなど、当時の日産も頑張ってはいたようだが、これは後出しのコロナ T20 のスタイルが良く女性ウケした事への対抗だった。

そして4年後に発売されたのが 410で、ボディデザインはピニンファリーナで当時の欧州車のトレンドであった尻下がりのデザインが日本では不評だった事などから、始めてコロナ (T40系) にトップの座を明け渡す事になってしまった。それでもこの410系はスポーティーグレードの充実という面ではトヨタに先行していて、1964年3月には1.2L エンジンに SU型ツインキャブレーター装備で 65ps 搭載の 1200SS を発売した。このSS というのはスポーツセダンの略で、その後1965年には 1.6L SU型キャブで90ps を発生するSSS (スーパースポーツセダン) を発売した。これによりブルーバード「スリーエス」というのは当時のマニアの憧れのクルマだったし、その後に日産はサファリラリーへの挑戦などでブルーバードのスポーツ性を強調して行った。

なお価格的にはセドリック等の高級車が100万円クラスだったのに対してブルーバードクラスは70万円くらいで、SSSでも80万円代だった。

ブルーバード 310から1年遅れて発売されたのが2代目コロナ T20 で、そのスタイルは欧州車 (オペル) っぽいモノで、当時の国産車としてはスタイルが良く女性ドライバーにも好評だったという。しかしスタイルの良さは剛性不足となり強度不足からタクシー業界では評判が悪く、結局ブルーバード (310) には勝てなかった。

そこでこれまたブルーバード410から1年遅れで発売された2代目コロナ (T40) は東名高速道路で「10万キロ連続高速走行公開テスト」の実施により耐久性をアピールする等で先代の不評を一掃し、ライバルのブルーバードと良い勝負をするようになり、これは当時「BC戦争」と呼ばれていた。発売の翌年にはブルーバードの SSS に対抗する為に 1.6L SU型キャブで90ps を発生する4R型エンジン搭載の 1600S と発売し、このクルマは前輪ディスブレーキ、4速フロアシフト、回転計、フルリクライニングシートなどの定番スポーツ装備も装着されていた。

本来トヨタは他社が外国車のノックダウンを元にクルマの設計を覚えたのに対して、最初から独自に開発したり、1961年にはフランスのシトロエン2CV の思想を日本的に解釈して、軽量で高性能・低価格という理想主義によるパブリカを発売したが、これが商売としては失敗作だったという苦い経験から「どんなに良いクルマを開発したところで、どうせ一般の日本人には理解出来る筈も無く、それなら見掛けだけのいい加減なクルマの方がよっぽど売れるに違いない」と言ったか如何かは判らないが、まあそんな気持ちになった事は間違いなく、これが技術の日産と販売のトヨタと言われた所以だ。そして半世紀経った今、技術の日産はルノーの傘下となり何とか倒産を逃れ、トヨタは世界一の自動車メーカーとなった訳で、まあクルマに限らず今の世の中何てそんなモノだという事だ。

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