B_Otaku のクルマ日記


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2018/10/14 (Sun)  ターレーって?

やっと移転が終わって新たに稼働を始めた豊洲市場のニュースなどで、荷物を積んで移動している電動の台車みたいなモノをニュースキャスターが当たり前のように "ターレー" と呼んでいた。ふーん、あれってターレーっていうのか。それで調べてみた、ターレーを‥‥。

正式にはターレットトラック(Turret Truck)といい、円筒形の動力部が360度回転する運搬車で、小回りが効くために卸売市場などで使われているものだった。呼び方はターレット、ターレ、ターレーなどと呼ばれているようで、前述のニュースキャスターもそれに従ったのだろう。

下の写真は代表的たターレーである関東機械センター製のマイテーカーという商品で、円筒形の動力部の上部のハンドルを握ってその後ろに立って運転する姿がニュース映像では頻繁に写っていた。

動力源は低公害を考慮してプロパンもしくは電気 (バッテリ-) 式が多く、規格上は多くが小型特殊の法規を満たしているので必要ならナンバーを取得して公道も走れるが、速度は 15k/h くらいしか出ないようだ。運転操作は例のリング状のハンドル兼手すりにつかまって、その内側に同心円状に配置されているのがアクセルでブレーキは右足で踏む。車種によぅては座って運転するものもあるらしい。

製造メーカーとしては前述の関東機械センターの他にニチユ三菱フォークリフトというフォークリフトメーカーや何とスバルでも作っいるようだ、これって若しかした六連星のエンブレムがあったりするのだろうか?

ところでこのターレーの値段だが概ね110万円くらいと軽自動車並みで、内容に比べて随分と割高だが、まあ生産台数が少ないからこうなるのだろう。

う~ん、今日の話題は為になった!(と、自画自賛)






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2018/10/13 (Sat)  1960年代の国産車<2>

前回のクラウン、グロリアに続いて今回も60年代の5ナンバーフルサイズセダンを取り上げる。先ずは日産セドリックで、前回の2車を含めての3車種がメジャーだったが、残る2車はチョッと、いや可也マイナーだ。ハッキリ言って、いすゞ べレルと三菱デボネア何て当時でさえ超マイナーだった。何しろこのクラスのクルマは当時の価格で100万円くらいだったから、これを買うのは殆どが法人であり一般の市民とは先ず縁がなかった。従ってクラウンでさえそれ程走っているのを見かけなかったくらいで、そんな時代にベレルとデボネアなんて‥‥いや、もうレア中のレアだった。

なお下の表に4車のスペックを纏めてあるが、流石にレアな2車は資料もレアで、この情報時代にネットを駆使してもそう簡単には見つからず空白が結構あるが、そこは勘弁してもらいたい。

セドリックは初代モデル 30 系が1960年4月に発売されたが、この時点では小型自動車の新規格が施行前だった事から最初に 1.5L 71psのスタンダードが発売された。そして新規格が施行された後の翌年5月に、1年遅れで本命の 1.9L の1900DX (デラックス) が発売された。

当時発表されたセドリックの新聞広告を始めて見た時には縦目4灯のヘッドライトとサイドまで回り込んだフロントウィンドウ (日産ではラップアラウンドウィンドウを呼んだ) に小学生ながらも目を引いたのを覚えている。いやもうガキの頃からクルマ好きだった訳だが。

そして1962年10月の MC で特徴的な縦目が横目に変更されてイメージが大分変わってしまった。このモデルをベースとして直6 2.8L 118ps を搭載したのがスペシャル (50型) で、全長とホイールベースが延長されていて、これが後のプレジデントに繋がる事になる。クラウンも同様だが、OHV の旧式なエンジンはグロリアの SOHC エンジンに比べると明らかに見劣りがしたのだった。

いすゞと言えば今ではトラックやバスという商用車専門メーカーだが、その昔は乗用車も作っていたし、そのルーツは石川島自動車というあの渋沢栄一氏により設立された名門企業であり、その面ではトヨタよりも格上だった。実際、少し前までのいすゞの幹部は殆どが東大か京大卒であり社員の学歴の高さでは自動車会社では群を抜いていた。その割には乗用車は失敗するし、一時は存続の危機に直面したりと、学歴だけでは如何にもならない見本のようなものだ。

いすゞ ベレルはいすゞが独自に開発したものでそのスタイルはイタリアのランチャを参考にしたと言われているように、米国車を手本とした他社とは一味違っていた。発売は 1962年でエンジンは直4 OHV の 1.5L および 2.0L でこれは他社のラインナップと同様だった。とはいえクルマの出来や性能ではメジャーな3車種の敵では無かったが、得意の小型トラック用ディーゼルを載せたディーゼル乗用車としてタクシー業界に売り込んで一時はある程度売れたが、他社が LP ガスのタクシーを発売した事で一気に重量は無くなってしまった。

ただし、ベレルの後1963年に発売された小型車のべレットはそのスポーティーな出で立ちから其れなりのユーザーがあって結構成功したクルマだった。

そして最後は三菱デボネアで、これこそ三菱系企業の役員車としての重要から何とか存続しているようなクルマで、1964年に発売された初代モデルは1986年までの22年間も生産されていて、80年代には走るシーラカンス等と陰口を叩かれていた。こんな長期間の生産だからバリエーションも多いが、エンジンは当初から直列6気筒が使用されていた。

こうして日本の高級セダンのルーツを並べてみると、何れも小型車の規格が変更になった 1961年以降からが本格的な国産高級車の時代となったのが判る。この小型車枠は今でも5ナンバーの規格として残っているくらいだ。

ところで高級車の装備と言ったらカーオーディオが思い浮かぶが、カーステレオが発売されたのは 60年代の後期であり、実質は70年初頭の8トラックカセットの普及からだった。この8トラックについては姉妹ブログの「60年代のテープレコーダー4(年金フル世代の学生時代)」を参照願いたい。

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2018/10/11 (Thu)  1960年代の国産車<1>

戦後の日本では終戦から10年後の1955年頃からあらゆる分野で日本の工業製品が進化して行った時代で、取り分け1958年頃からは一気に新製品ブームとなったのは姉妹ブログを参照されれば判ると思う。ブログではオーディオテープレコーダーカメラなどを取り上げているがクルマに関してはこちらの担当だ、と言う事で60年代の国産車について纏めてみる。

日本では 1960年に道路運送車両法の小型自動車の規格が改定されて、ここからその後の国産車の主流となる小型車 (5ナンバー) が発展して行った。その中で今回はこの小型車枠一杯の高級乗用車を取り上げる。先ずは1962年発売の2代目トヨタ (当時はトヨペット) クラウン、そして1963年発売のグロリア スーパー6について纏めてみる。

下の表を見ると判るが、それぞれをルーツとする現行生産車とのスペックを比較すると、流石に半世紀以上の時代の流れを感じるくらいに性能が違っている。

RS40はクラウンとしては2代目に当り、初代の背が高くて格好悪いという欠点は見事に一掃された‥‥と当時は思っていたが、現行S220 と比べると半世紀の時代の流れを感じるのは当然だ、って、そんなモノと比べるな、と言われそうだが。

実はこのRS40は自分自身が18歳なると直ぐに通った教習所の教習車だった事もあり実に懐かしいが、思い入れは全く無い。というのも、ステアリングは中心付近で外周 20㎜ くらいの遊びがあるし、道路の継ぎ目などで簡単に方向を乱されるから、それを修正する為にステアリングホイールは常に左右に動かしている状態だった。そして旋回なんて目一杯速度を落とさないと曲がれないドアンダーもいいところでやたら非力だった。

この非力なエンジンを3速コラムシフトのミッション (勿論MT) で走らせるのだが、1速 (当時はローと呼んだ) で発進したらば直ぐに2速(セカンド) に入れてある程度まで加速してから3速(これはトップと呼んだ) に入れて巡航する。信号や交差点の右左折で減速する時も即座にシフトダウンなんてしないで、それでも速度がかなり落ちたらセカンドに入れる。ではローはというとこれは発進以外には使われなかった。その理由はOHVの低出力エンジンはメリットとしてトルクが広い範囲で発生されるのでセカンドなら完全に停止しない限りはそこから加速が可能だったのだ。

加えてローはシンクロが付いていないか、あっても性能が悪い為に走行中にシフトダウンするのは大変だった。

トヨタ クラウンに対してプリンスは当時の国産車としては最先端の 2.0L 直6 SOHC搭載のスーパー6を2代目グロリア発売の一年後となる1963年に発売した。これはもう技術的にはクラウンの敵では無かったが、プリンスの商売の下手さにより結局会社自体が1966年に日産と合併(というよりも吸収に近い) した事で、グロリアは次の3代目を最後にセドックの双子車となってしまい、勿論先端のG型エンジンは廃止となり、出来の悪さでは世界一、振動の塊のような6気筒と言われた日産のL型に変わってしまった。

と言う事で次回は日産セドリック、いすゞ ベレルそして三菱 デボネアを予定している。

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