B_Otaku のクルマ日記


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2019/1/31(Thu)  戦後のライトバン<2>

前回はクラウンとセドリックという当時のフルサイズセダンベースのライトバンとピックアップトラックについて纏めたが、今回はその一つ下である小型車クラスを取り上げてみる。

先ずは日産だが、前回この当時はステーションワゴンが無かったと書いたが、実はブルーバードには例外的に乗用車登録のワゴンがラインナップされていた。というのは日産の場合はダットサントラック (通称ダットラ) およびバンという商用車専用のラインナップを持っていた為に、ブルーバードには乗用ワゴンが用意されていたという訳だ。ただしこの310 (ブルーバード) と 320 (ダットラ) は写真を見ても判るように兄弟車だった。しかしその後 (410以降) では徐々に両車は違いが大きくなって行く事になる。

ではコロナはというと、こちらは乗用車を元にした商用車登録のバンだった点ではクラウンなどと同様だったが、コロナには別途の5ドアセダンと言うハッチバックのモデルが存在した。これは当時としては中々の見識だったが、世の中では全く受け入れられ無かった。

話が前後するがこれらのピックアップトラックは如何だったかと言えば、コロナの場合はクラウンと同様で荷台の部分でセダンのウエストラインから上をチョン切ったような構造だったが、ダットラについてはキャブと荷台が別になっていて、言ってみればより本格的にトラックとしての構造を持っていた。

これら小型車クラスは5ナンバーフルサイズセダンに比べれば価格も多少安かったが、そうは言ってもサラリーマンが買うのは大変な時代で、特にコロナバンは中小企業の経営者が乗っている例が多かった記憶がある。実はこれらのライトバンは荷台の床をかさ上げする事で、積載容積が貨物車の規定を外れてしまう為に5ナンバー登録になるという裏技があり、これによってコロナバンがステーションワゴンに変身するのだった。

これに何のメリットがあるかと言えば、貨物車は毎年車検があったが乗用車ならば2年毎だし、都内の2車線以上の幹線道路では通行区分という規定があって、中央寄りは乗用車しか走れない等の差別があって、ワゴン化によりこれが解消されるという、何だかインチキ臭い現実があったのだ。

 





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2019/1/30(Wed)  戦後のライトバン

50年代後半から60年代には乗用車ベースのライトバンというカテゴリーが結構売れ筋だった。その車種もクラウンやセドリック等の高級セダンベースのものもあり、欧米ではステーションワゴンに分類されるようなクルマだった。

その一例を見ると下の写真で正面から見ればセドリックとクラウンという当時の国産高級セダンだが‥‥。

なんとライトバンだった。まあ今風に言えばステーションワゴンとかツーリングとかの部類だがら、高級サルーンのバリエーションでも可笑しく無いが、当時の日本人はこれを貨物自動車と認識していた。

だが、しかーし。これに驚いてはいけない。

バンどころがピックアップトラックまでラインナップされていたのだった。ところで上の写真のクラウンベースのバンの名称はクラウンバンでは無くてマスターラインという。そして下のクルマはマスターライン ピックアップ。

それにしてもバンならワゴン的な使い方も判るが、何故にクラウン顔のトラックがあるのだろうか、と疑問が湧くだろう。

実は当時は自営業者が高級乗用車を経費で購入する事に税務署が難色を示していたために、裕福な自営業者はバンやピックアップ、すなわち仕事用として買うが実際には自家用車としての用途もあるという現状があった。

そしてマスターラインという名称だが、これは初代クラウンと同時に発売されたタクシー用のトヨペット マスターという車種があって、このラインナップとしてバンやトラックはマスターラインという名称だった。このマスターはクラウンがフロントに独立懸架を採用しているのに対して、タクシー用として耐久性を考慮してリジットアクスルを採用していた。ところが、クラウンが意外にも耐久性ある事が認められて、タクシー用もクラウンにシフトして行ったためにマスターは中止となり、そのバリエーションのマスターラインもクラウンベースとなったが、名称はそのまま残っていた、という事情があった。

このクラウンベースのマスターラインという名称は1967年9月の3代目クラウンの販売終了と共に消滅した。更にピックアップトラックは4代目クラウンが最後となった。と言う事は4代目クラウンまではピックアップがラインナップされていた事になる。

ところで、このピックアップの中古車は意外にも需要があって、特にシングルキャブはそれなりの下取り価格があったが、その秘密はこれをベースにして霊柩車を袈装する為だった。最近は殆ど見なくなったが、以前はキンキラキンの宮型霊柩車が一般的で、これのベースに丁度良かったのだった。

それではピックアップの生産中止後は如何なったかといえば‥‥心配ご無用。4ドアのサルーン等をベースにしてもBピラー以降のウエストラインから上をチョン切って成り立っている。いやまあ、大した職人技だ。

そんな宮型霊柩車も今では絶滅してしまい、匠の技の不要になってしまったが‥‥。

 




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2019/1/29(Tue)  Kia Ceed GT (2019)

応募工の損害賠償だの日本の哨戒機に日本の経済水域でレーダー照射でロックオンしたりと、馬鹿の極みを演じている韓国だが、作るクルマについてはこれまた大笑いのパクリが相変わらず横行中だ。

そこで今回取り上げるクルマはキア シードGT というCセグメントのスポーツハッチらしきクルマだが、そのエクステリアを見た瞬間‥‥

ありゃ、これゃ誰が見ても BMW 1シリーズの劣化コピーと判るものだ。しかし韓国に言わせれば「これはウリらのオリジナルにだ」とか言うのだろう。いや若しかして「BMW はウリらのコピーだから謝罪と賠償を要求するニダ 」と言いだすかもしれないなぁ。

リアから見てもそっくりだが、C ピラーに小さなウィンドウを付けている所が違うと言えば違うが、この重要な構造材に穴開けてガラスを付けて、強度不足にならないんかね?

次にインテリアは‥‥まあ特に変わったモノでないが、シートは一丁前にセンターがアルカンターラでサイドが人工皮革に見える。

このシード GT は韓国が誇る本格的スポーツハッチというが、おーい大丈夫かぁ? と、思ったら、何と製造はスロバキアだった。そして欧州のみの販売で、韓国では販売しないと言う。それじゃ、韓国車と言えないじゃあないか。まあヒュンダイモーターの経営は完全に国際金融資本に押さえられているから、韓国のメーカーとは言えないのが現状だが、それでも、ほんの少しでも韓国系の上層部が居るだけで劣化コピー専門メーカーに成り下がるというのは、いやはや悪貨は良貨を駆逐するという諺の見本みたいなものだな。

なお詳細は一応下記にて。
  ⇒ https://www.netcarshow.com/kia/2019-ceed_gt/

 






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2019/1/26(Sat)  戦後のオート三輪<2>

前回の1月9日の日記では戦後のオート三輪前半をお送りしたが、何とそれから後編をやらないまま2週間以上が過ぎてしまった。ということで遅ればせながら前回取り上げられなかったメーカーについて纏めてみる。

前回はダイハツ、東洋工業 (マツダ)、日本内燃機 (くろがね) の3社だったが、これに加えて当時はヂャイアントコニー (愛知機械工業) 、みずしま (新三菱重工業) そしてオリエント (三井精機工業) という3社のクルマも結構走っていた。

先ずはヂャイアントから。実はこれには大いなる思い出がある。というのは小学生の頃、自宅の前の裏道を三輪のトレーラーが頻繁に走っていて、その荷台には巨大なロール紙が積まれていた。何よりこんな裏道にトレーラーが走っていると言うのが脅威だったが、それがその先の更に細い道に左折して行く姿が今でも印象に残っている。三輪車という回転半径では大いにメリットのある方式で、これまた小回りの効くトレーラーの組み合わせは狭い道では最強であり、それがヂャイアントのトレーラーだった。そこで調べてみたらば、成る程そう言う製品の写真が出てきた。

勿論写真上のように普通の三輪トラックも作っていて、当時は結構走っていた。なお愛知機械工業は今でも日産の子会社として存在し、エンジンやトランスミッションを生産している。

みずしまは新三菱重工業、今の三菱自動車の水島製造所に因んでのブランド名だと思うが、ここは今でも倉敷地区の重要な工業拠点として地域の経済を支えているようで、10年程前に仕事で倉敷に行った時は久々にアウトランダーが海外でそれなりに売れた事で、倒産寸前だった水島の中小企業が一気に息を吹き返したと地元の商工業者が喜んでいたくらいで、自動車産業の影響の大きさを思い知ったものだった。

それで本題の三輪トラックのみずしまだが、まあこれと言って特に特徴は無いが、三菱関連では使われていたのだろう。

 

オリエントについては、写真右上を見れば判るように当時の三輪車としては画期的なデザインは他社を圧倒していて、当時は街中でオリエントが走っているのを見て「カッコ良いなあ」と思ったモノだった。オリエントは三井精機工業が開発・製造したものを日野自動車が販売していたものだが、その後三井精機工業は自動車 (3輪車) から撤退し、現在では工作機械メーカーとして存続している。

このように貧しい戦後の混乱期を支えた三輪トラックだが、年々改良されて居住性や操作性も向上していったにも関わらず、それ以上に日本の経済も向上し、また4輪の小型トラックも販売された事で、三輪トラックのデメリットが大きくなってきた事から徐々に衰退して行った。

そして前回の3社を加えた当時のオート三輪メーカー6社で、今でも自動車を生産しているのはダイハツとマツダ、そして三菱の3社であり、しかもダイハツは事実上トヨタの軽自動車部門であり、三菱は日産系として何とか倒産を免れている状況で、結局総合メーカーとして頑張っているのはマツダのみという状況だ。


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