B_Otaku のクルマ日記 特別編

ご注意:この記事は特別編です。毒舌やら嫌韓やらで満ち溢れています。
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2016/1/17(Sun)
スキーバスの事故

今回のスキーバスの事故は死亡者の多さや、その殆どが将来を期待される大学生だった事からも大きな話題となている。ところで何故に国公立大学の学生が多かったかといえば、ちょうど今はセンター試験の時期であり、その準備も兼ねて会場となる国公立大学では少し前から休校となっていたため、それを利用して研究室単位などでスキーへ行ったということらしい。

それで今回の事故だが、勿論原因はこれから究明するのだが実際に運転していたドライバーと交代要因の2人とも亡くなっていることから、事故の発生原因を知っている人が居ないために原因究明は難航すると予想される。

そしてこういう事故が起こるとテレビのワイドショーなどにはコメンテーターとかいう人種が出てきていい加減なことをいうのが常だが、今回も事故を起こした運転手は1ヶ月前に入社したばかりで、それまで大型バスを運転したことがなく慣れない車両での運転未熟が原因に違いない、みたいな結論に持って行きたいのが見え見えだったりする。報道では確かに運転手は1ヶ月前に入社して、それまでは9mのバスを運転していて今回のような 12m のバスは始めてだったとうことで、これ自体は正しい情報だと思う。しかしその 9m のバスというのをエセ評論家はマイクロバスといっていたが、まったくいい加減なことをいうものだ。

そこで先ずは大型、中型、そして小型 (通称マイクロ)バスについてまとめてみる。

今回事故を起こしたのは上の写真@に相当する大型観光バスであり、全長12m というのは車両基準いっぱいのサイズで、観光バスとしてはメジャーなものだ。ただし、最近は旅行の単位が少人数化していることもあり、長さのみ短いものも見かけるようになったが基本的には大は小を兼ねるというところだ。

そして今回の運転手が前の会社で運転していた9mクラスというのは、写真Aの中型バスを指していると考えるのが普通だ。写真を見て判るように確かに大型バスよりは長さは短く幅も少し狭いが、客室の幅が少し狭いとはいえ1列に2人掛けが左右に各一組という点では大型と変わらない。ただし通路が狭いために折りたたみ式の補助椅子が無い場合が多い。とはいえ、一般人からすれば充分に大型であり、一見しての区別は付かないだろう。

ではマイクロバスというのはどうかといえば写真Bに示すもので、幼稚園や旅館の送迎車としてお馴染みのもので、確かにこれから大型バスは敷居が高い。そしてマイクロバスの長さはロングボディーでも7mで、9mのマイクロバスなんていうモノは無い。このマイクロバスは以前には大型免許を必要としたが、中型免許が新設されてからはこれで運転できるが、旧普通免許から格上げになった限定中型免許ではマイクロバスは運転できないので念の為。

ということで、流石に最近はマイクロバスの運転手が行き成り慣れない大型を運転したための事故、何ていうストーリーは成り立たないのをマスコミも気が付いたのか、この話は誰もしなくなったようだ。

それで原因についてだが、今の段階では情報が少なすぎて何とも言えない状況だ。それでも今回は現場の写真が結構公開されていて、路面に黒々とタイヤのマークが付いている写真もあるなど、ある程度の推定のネタはあるが、それだけではとても判断はできない。このタイヤマークが右車輪と思われるものが1本だけのためにバスは右に傾いてガードレールを突き破ったという説明もあるが、右に傾くと右車輪にのみブラックマークが付くというのも意味不明だし‥‥いや事故原因をある程度まで想定はしたのだが、これは次回にでもまとめようと思う。

ただし一言だけ言っておくと、あのブラックマークはまずブレーキ痕に間違いない。そして右車輪のみブレーキ痕を残したという点が解決の糸口だろう。

ところで今回の事故と関連があるかは解らないが、以前にも指摘ように最近何故かバスによる考えれれないような事故が多発していて、その原因の多くが運転手が突然気を失ってクルマのコントロールが不能になることだ。そしてつい最近も回送中のバスが道路上を外れて民家に突っ込んだ事故があったばかりだ。こんな事は以前は全く有り得なかったのだが、一体どうした事だろう。

えっ? そんなの決まってるじゃあないか! って‥・そうですよねぇ。どう考えても ”マル放” でしょうねぇ。バスは事故るやら、電車は急病人や駅構内の ”人身事故” で止まるやら、もう東日本の公共交通機関はボロボロで、しかも増々酷くなっている。旧ソ連でもチェルノブイリ事故から5年経過後から病人続出でどうにも隠すことが出来なくなったのだから、当然この日本でも同じことになるだろう。これから一年後は、果たして我々はどうなっているのやら。