B_Otaku のクルマ日記


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2019/3/5 (Tue)  1960年代の軽スポーツ

1967年3月に発売されたホンダ N360 はそれまでの軽自動車の常識を覆す高性能 (31ps) &低価格 (31.5万円) という画期的な製品であり、これによりスバル 360 (16ps、35万円) を筆頭とする従来の軽自動車に壊滅的な打撃を与える事になった。しかも同年9月にはツインキャブレターにより36psを発生する N360 T シリーズが発売となった。

これを切っ掛けとして翌 1967年には他社も続々と高性能化したスポーツモデルを発売した。これが今回の主役となる 1960年代の軽スポーツであり、具体的にはスバル ヤングSS (1968年)、スズキ フロンテSS ストリートスポーツ (1968年)、ダイハツ フェローSS (1968年) の3車種だ。

ホンダ N360 T のエンジンは前述のようにツインキャブレターにより標準の 31ps/8,500rpmから 36ps/9,000rpm へとアップされていたが、トルクに於いては 29.4N-m/5,500rpm から 31.4N-m/ 6,500rpmへと元々高回転寄りだったエンジンは更に高回転型となり、まるでレーシングエンジンのようだ。何しろ最高出力を出すには 9,000rpm まで回す必要があるのだから。

これに対してスバルは 360 ヤング SS というグレードを1987年に販売を開始した。ヤングSS もツインキャブレターを採用し、しかもホンダの京浜製のCVタイプに対して何とソレックスを使用していた。最高出力は N360 T と同じ 36ps だが、こちらは 7,000rpm とホンダよりも 2,000rpmも低い回転数で発生している。またトルクもより大きく (37.2N-m) 回転数も低い (6,400rpm) から、扱い易さと言う面では勝っていた。では如何してそうなるのかと言えば、ホンダの4サイクルに対してこちらは2サイクルだから、性能的には有利だったのだ。その代償は燃料に潤滑オイルを混ぜる必要があり、その昔は2サイクル用にオイルを混ぜた混合ガソリンというものが販売されていた。ただしこの時代のスバル等の多くのクルマは既に分離給油といって、オイルは別のタンクに入れておいて燃焼時に混合される構造になっていた。

同じく 1968年にスズキはフロンテ SS を発売した。このクルマもツインキャブレターによりスバルより1ps多い 37ps を発生させていたのはスバルと同じく2サイクルを採用していた事による。フェロー SS の当時のカタログには所謂ゼロヨンが 19.9秒で、これは軽で始めて20秒を切ったと言う事を誇らしげに書いてあった。しかしねぇ、20秒って今の常識じゃあ大したことは無いけれど‥‥。(現行アルトワークスは 17.87秒)

もう一つの軽自動車大手であるダイハツもフェローSS というバリエーションを、こちらは少し遅れて1968年に発売していた。パワーとしては他車より少し低い32psだが、その分最大トルクも含めて発生回転数が低く、扱い易さを狙ったのだろうか? なお今回の4車では唯一の水冷式だ。

ここでこれら4車のスペックを纏めておく。

この表を見ると当時はエンジン形式のみならず、駆動方式も前輪駆動に後輪駆動、そしてリアエンジンとこれまたバラエティーに富んでいた。またトランスミッションは基本的に MT だが N360 は常時噛合式 (コンスタントメッシュ) で、この方式はスムースなシフトダウンにはダブルクラッチを必要とした。ホンダでは F1 と同じと宣伝していたが、まあそれはそうだが本当のところはバイクと同じ、というものだった。

スペックには出てこないが上記の写真達を見ると、ホンダを除いて残る3車 (社) はエクステリアに派手なデカールが貼ってあるが、これって標準だったのだろうか? 当時の記憶ではこういうの貼ったクルマが走っていた記憶がないのだが、もしかすると軽スポーツ自体が売れていなかったのかもしれない。同じスポーツセダンとはいえ例えばカローラ SL なんて軽に比べれば桁違いの高性能 (と言っても大した事は無いが) だったからだ。








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2019/3/2(Sat)  韓国の軽自動車

韓国人は見栄っ張りだから小さなクルマが売れないというのは有名な話で、VW ゴルフをパクッタようなヒュンダイのCセグメントハッチバックなどは、殆どが国外で販売されているという。ところが、そんな韓国にも軽自動車があるらしい‥‥。

調べてみたらば韓国にもサイズと排気量の規格があって、軽車 (キョンチャ) というらしく、サイズ的には日本の軽自動車~リッターカークラスに相当する。

では具体的にはどんなクルマかと言うと下の写真がそれで、キア レイ (Ray) 2012 というクルマだ。

ややっ、これは‥‥どうみても‥‥

タント (2007~) のパクリじゃねぇか? それもスタンダードとカスタムの良いとこ取りで!

レイのサイズは全長 3,595 x 全幅 1,595 x 全高 1,700 mm というから、日本の軽自動車よりは少し大きい。そしてエンジンは 1.0L だからこれまた軽自動車よりも大きい。ということはダイハツ トールに近いかと思ったが、トールは全長 3,725 x 全幅 1,670 x 全高 1,735 mm とレイより明らかに大きい。

しかし、まあ、何時もの事ながら、ようやるわ。それで韓国国内の評判はといえば、自動車愛好家や評論家にはキューブとタントを足して2で割ったデザインだとボロクソ言われているという。実は韓国のマスコミは日本より遥かにマトモで、常に体制に対する批判の精神を忘れていないのは有名な事で、彼らは韓国人の中の10%といわれるマトモな考えと能力を持つ階層が主流なのだろう。

対する日本のマスコミはマスゴミと言われているくらいで、実は日本では極マイナーな筈の半島では 90%に相当する救いようの無い連中が牛耳ってしまった、という話は別の機会にしよう。




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2019/3/1 (Tue)  1950年代の国産車 <2>

前回はトヨタの50年代前半のモデルを取り上げたが、それに続き今回は日産とプリンスについて纏めてみる。

日産はトヨタと異なり 1952年から英国 BMC のオースチン A40サマーセットのノックダウンを開始し、その後 1955年にはオースチン A50 ケンブリッジ (2018年12月5日 戦後のノックダウン車) に切り替えて 1960年まで生産された。その日産が自主開発モデルとして 1955年に発売したのがダットサン110系で、1957年には 210系へと発展した。110/210 はライバルであるトヨペットクラウン RS よりも小型で低価格の市場を狙っていて、事実当時はタクシーとして中型がクラウン、小型がダットサンであり、その下にルノーのタクシーも結構あった。初乗りは 1960年前後でクラウンが80円、ダットサンが70円、そしてルノーが60円だったような記憶がある。

110 のエンジンは水冷4気筒 860㏄ サイドバルブ 25psで、210 は水冷4気筒 988㏄ OHV 34ps へと強化されていた。なお 110/210 には商用車としてライトバンとピックアップトラックも存在し、これらは小型商用車の定番的存在であり、その後ダットサントラック (ダットラ)が 長い事小型トラックとして不動の位置を確保する元となったものだ。

旧中島飛行機系の富士精密工業が社名をプリンス自動車工業と変更して、1952年に発売したのがプリンスセダンで、エンジンは 4気筒 OHV 1,500cc 45ps であり当時の国産ライバルを圧倒していた。その後 1957年には後継車種として初代スカイラインが発売された。スカイラインはセミ・モノコック構造で、前輪はダブルウィシュボーン独立懸架、後輪には国産初のド ディオンアクスルを採用するなど、これまた他社に比べて大いに先進的だった。そして 1963年まで生産された後に2代目 S5系 (2018年10月17日 1960年代の国産車<4>) へと FMC された。

なおプリンスセダンやスカイラインにも当然ながらこれをベースとしたライトバンやピックアップが存在していた。これらについて項を改めて取り上げる予定だ。




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