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Volvo XC60 T5 (2018/2) 前編 その1

  

昨年末の日本カー・オブ・ザ・イヤー (JCOTY) で第1位に輝いたのはボルボ XC60 だった。何でボルボなの? COTY って選考基準が怪しいし現ナマや接待も激しいし当てにならねぇんじゃねぇ? 何て思う読者も多いだろう。そこで今回の試乗記はそのボルボ XC60 を選んでみた。そういえばボルボを取り上げるのは随分と久しぶりだった。という事で本題に入る前に、先ずはボルボの歴史について簡単に纏めてみる。

ボルボ初の量産車は1927年の OV4 (オープン2ドア) および PV4 (4ドアクローズド) という 4気筒 2.0L のモデルだった。この PV4 (写真1) を見ると何と現行ボルボでお馴染みの斜めのラインの入ったグリルが付いている。このモデルは僅か2年で PV30 Carioca とバトンタッチされたが、そののグリルは左の上部 1/4 のみに斜めラインが入っている (写真2) 。

戦後のボルボは終戦と共に戦前に開発されていた PV60 が 1946年に発売されたが、その 2年後にはボルボの戦後型のルーツとも言うべき PV444/544 (写真3) が発売され、これらは 1965年まで生産されたが、その合計は 44万台に及ぶという。そして PV444 の発展型が 1956年発売の 120 アマゾン (写真4) で、一新されたボディのデザインは往年のボルボとしてお馴染みのモノとなった。と書いては見たが、日本ではボルボどころか輸入車自体は極々珍しく、ましてボルボなんて名前を知っているのは余程のマニアだった筈だ。なお 120 はボルボ社が特許を取得した3点式シートベルトを全車に標準装備していた事から、ボルボ=安全というイメージが確立される事になった。

ところで実はこれらの戦後型ボルボのラジエターグリルには現行ボルボのアイデンティティである斜めのラインが付いていないのに気が付く。このタイプのグリルは 120 をベースにボディを一新した 140/160 シリーズ (1966発売 写真5) から復活した、というより発掘されたと言うべきかもしれない。要するにボルボ発祥時のホンの2年間だけ使われていたグリルのモチーフを引っ張り出して来て新たなアイデンティティとしたのだった。

140/160 はその後のボルボの主力車種として1974年まで生産され、次の 240/260 (写真6) に引き継がれた。このクルマのデザインはボルボといえば脳裏に浮かぶ四角四面の走る煉瓦といわれたモデルで、バリーエーションのエステートが一時期は日本でもソコソコの人気で、これは堅実な実用車のボルボをプレミアムブランド的に販売した日本の輸入元の商売の巧さだったと思う。というのは200シリーズが発売された 1974年に、日本では総代理店がボルボと帝人の合弁会社である「帝人ボルボ」となった年で、1986年にボルボ 100% 出資会社であるボルボ・カーズ・ジャパンとなるまで続いていた。


写真1
Volvo PV4 (1927-1929)


写真2
Volvo PV36 Carioca (1935)


写真3
Volvo PV544 (1947-)


写真4
Volvo 120 AMAZON (1956-)


写真5
Volvo 144 (1966-)


写真6
Volvo 240GL (1974-1993)

200シリーズから数年遅れの1976年、より大型の 700シリーズ (写真7) が販売され、大きいボディによる押しの強さもあり、また北欧というイメージや安全性重視というポリシーと帝人ボルボの努力から、日本でも結構金持ちが乗っていたのを思い出す。この700シリーズは1990年に改良版が 900 シリーズとして発売され、当時の日本では940 の多くのバリエーションが輸入されて、輸入車としてはドイツ車に次ぐメジャーな存在となっていった。実は当時ボルボワゴンが有名になってきたので参考の為にとディーラーに行ったら、滅茶苦茶高飛車な対応で、殆どヤ○セ顔負け状態だったのを思い出した。

そして1992年にはボルボ初の中型 FWD車である 850 が発売された。この 850 のビッグマイナーチェンジモデル (1997年) は S/V70 という新たな名称が与えられ、特にステーションワゴンの V70 は日本でも高級輸入ワゴンの代名詞的な存在となった。なおこの時代からボルボの車種ははS(セダン) または V(ワゴン) に続く二桁の数字で表されるようになったが、この呼び方は 1996年の S/V40 から始まっている。

その S/V40 は三菱 カリスマとプラットフォームを共有する兄弟車で何れもオランダの三菱とボルボの共同出資会社で生産さてれていた。この S/V40 の酷さは大したもので、剛性は足りないし直ぐガタがくるくらいに製造技術は劣るし‥‥という代物で、これを高級ブランドとしてそれなりの価格で販売するのは大いなる無理があった。

実は S/V40 発売の2年後となる 1998年にボルボは乗用車部門をフォードに売却したことで、フォード プレミアム・オートモーティブ・グループの1部門となった。フォードグループになってからのボルボは 2000年に V70 の FMC を実施したが、この V70 は当時実際に試乗した事があるが、デッカいドンガラのボディは剛性不足のヨレヨレで、5気筒のエンジンはマルでトルクが無いばかりが酷い振動で実質 4,000rpm 以上は回せないという驚く程の低性能だった。しかもデカイくせに FWD 方式でフロントには 5気筒エンジンを横置きしているから妙に車幅が広いという、何とも使えないクルマだった。こんなのを買うユーザーって居るのだろうか? という疑問どおりに、その後のボルボは落ち目の三度笠で凋落へ一直線となっていった。加えてフォードグループから出向して来る日本法人の上層部は短期の成績で評価される為に見掛けの業績を上げる事に終始して、帝人時代から築き上げてきた国内のボルボ販売網をズタズタにしてしまった。

この V70 の車高を少し上げて AWD と共に多少のオフロードを走れる、いわゆるクロスオーバー車が V70 XC (写真8) で、これがボルボとして初の XC を名乗る量産モデルであった。まあ出来の悪い V70 を少し弄ってオフローダー風にしたモデルだからロクなモノじゃ無いが、日本ではクロスカントリーという名称で販売され、価格は490万円よりだった。それではもう少し本格的な SUV と呼べるモデルはといえば、日本では 2003年より発売された XC90 (写真9) で当時の価格は 555〜695万円だった。これは同時代の BMW X5 の 667万円より、と比べれば確かにそれよりは安いが、それでも普通なら X5 を選ぶだろう。なお XC90 は 2015年に FMC して現在に至っている (写真10) 。


写真7
Volvo 780 (1987)


写真8
Volvo V70 XC (2004)


写真9
Volvo XC90 (2002)


写真10
Volvo XC90 (2015)

そして XC90 に続きそれよりも小さい SUV として 2008年に発売されたのが初代 XC60 で、V70 ベースとはいえ大幅に改良された事から V70 のイメージからすれば大分マシなクルマではあった。日本では最初に直6 3.0L ターボエンジンを横置きする T6 が発売され、これは下記の試乗記があるので参照されたい。
 ⇒ VOLVO XC60 T6 SE AWD 試乗記 (2009年9月)

実はボルボは2010年にフォードから中国の企業に売却され、それが現在もボルボのオーナーである浙江吉利控股集団で元来は冷蔵庫を製造する企業集団だが、その傘下には中国大手自動車メーカーである吉利汽車も含まれている。この中国のオーナーは金は出すが口は出さないという理想的な方針で、この為にフォード時代に技術的にも販売的にもどん底まで落ちたボルボを見事に復活させる事となった。そしてこの体制の元で新規開発されたモデルの一つが今回の主役である2代目 XC60 で、日本では昨年10月より発売され前述のようにこの年の日本カー・オブ・ザ・イヤー (JCOTY) を受賞した。まあ COTY には色々問題もあるが、それにしてもフォード時代にハゲタカに喰い荒されたボルボも遂にここまで復活した事になる。これは奇しくも NWO を目論むハザールマフィアよりも中国の方が余程マトモである事が判明した訳で、近年の中国の台頭と NWO の衰退傾向は決して悪い事では無い。

と、近代のボルボについての流れを纏めてみたが、さてここでいよいよ本題に入る事にして、先ずは新旧の XC60 および XC90 の仕様を比較して見る。

大分前置きが長くなってしまった。この続きはその2にて‥‥。

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