B_Otaku のクルマ日記


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2019/2/27 (Wed)  マツダ ロードスターの30年<5>

今回はマツダ ロードスターの影響でその後に発売された国産オープンスポーツカーについて纏めてみる。

ロードスターの発売 (1989年) から2年後の 1991年にはスズキ カプチーノとホンダ ビートが発売されたが、何れも軽自動車規格だった点に特徴がある。その中でもスズキ カプチーノは軽の枠の中でロングノースのフロントエンジン オープンスポーツカー、エンジンは縦置きの後輪駆動とうマツダ ロードスターと同様な構成となっていた。しかも驚く事にフルオープン、タルガトップ、Tトップ、ハードトップの4種類のルーフを楽しめるという点でも画期的だった。

しかし軽の規格内でロングノースのスポーツカーを成立させたために室内は極めて狭く、身長175cm級ではマトモに運転操作が出来ない状況だった。

ではホンダ ビートはと言えば、これも同じく軽自動車だが構成は全く異なり、スーパーカーもどきのミッドシップエンジンで、しかもエンジンは自然吸気。にも関わらずターボのカプチーノと同じ 64ps を発生しているので、恐ろしい高回転型エンジンであり、最高出力は8,100rmpというレーシングマシーンも顔負けという位だが、その代償として最大トルクが 7,000rpm という高回転型で、言い換えれば低域側のトルクは全く無く、常にフルスロットルで高回転を維持する必要があった。まあその分気分はレーサーだが、ふとミラーを見るとオバちゃんのカローラが楽勝で付いてきたとか‥‥。

そして更に1年後にはマツダの AZ-1 が、これまた軽規格のミッドエンジンスポーツとして発売された。しかもドアはスーパーカーもどきのガルウィングという凝りようだ。下のスペックを見ると判るようにエンジンは F6A 、すなわちスズキ カプチーノと同じスズキ製だった。そんな事もあり、このクルマはスズキにOEM 供給されてスズキ CARA という名称でも販売されていた。

結局これらはバブル時代に開発されたあだ花のようなもので、AZ-1 は 3年で生産中止となり、他2車も 1998年には生産が終了している。








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2019/2/26 (Tue)  マツダ ロードスターの30年<4>

2月21日の日記ではマツダ ロードスターの成功により復活した海外のオープン2シーターとして MG Fフィアット バルケッタを取り上げたが、今回はその続編として BMW Z3 に注目して見た。

Z3 は1996年に発売され、当時のBMWとしてはエントリーモデルであった3シリーズコンパクト (E36/5) とプラットフォームを共有していた。その E36/5 は何を隠そう1世代前のE30 3シリーズをベースとしているためにリアサスペンションは当時の BMW としては旧世代とも言うべきセミトレーリングアームを使用しいていた。

発売時の Z3 のスペック (下表) をマツダ ロードスターと比べると、サイズはほぼ同じであり、エンジンパワーは多少 Z3 が強力だが車重が重い為にP/Wレシオでは寧ろ劣る位で、それでも価格はロードスターのエントリモデルの丁度2倍だった。

その後 Z3 はエンジンバリエーションとして 直6 2.8L の Z3 2.8 そして何と E36 M3 用のエンジンを搭載した M ロードスターを発売していったのだった。しかも Z3 のバリエーションとしてクローズドボディーの Z3 クーペも発売したが、これがまた奇妙なデザインであり当時はカルトカー扱いされていた。その Z3 クーペにも M モデル (写真右上) が存在し、その名も M クーぺと命名され当時は「これぞ変態の極致だ」と感じたモノだった。

これら輸入車3車種の中で、その後今でも順調に成長して行ったのは BMW のみで、Z3 の次のモデルは Z4 と名前を変えて、FMC 毎に高級化、大型化して現在に至っていて、近日発売の新型は何とトヨタ スープラと兄弟車になるという。

ところで当時マツダ以外のメーカーからオープンスポーツは発売されなかったのかというと、実は軽自動車としてホンダとスズキから発売されていたのだった。これについては次回にて‥‥。

つづく




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