B_Otaku のクルマ日記


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2018/11/15(Thu)  初期の軽自動車<4>

ホンダの4輪車は1963年発売の軽トラック T360 から始まった。それから4年後の1967年には軽乗用車の N360 が発売され、このクルマはそれまでの軽自動車の常識を覆す歴史的なものだった。

T360 はトラックとしては常識外の直4 DOHC エンジンを搭載するという面では正に異色だった。実はこのエンジンは同時に開発されたオープンスポーツカーである S360 と供用していた事から、このような前代未聞の軽トラックが誕生したのだった。当時近所のイカレタあんちゃんがこの T360 のマフラーを改造してバリバリ言わせながら得意げに走っていたが、傍から見れば「馬っ鹿じゃねぇの」という気持ちだったが、本人にすれば DOHC のハイチューニングエンジンを積んでいるレーシングカー並みのクルマなんだ、という気持ちだったのだろう。

結局 S360 は市販されず、それを元に普通車登録とした S500 が発売されたのだった。

ところでホンダはこの T360 の生誕から55周年を記念してアクティートラックをベースに当時の T360 風の塗装を施した特別モデルの「スピリットカラースタイル」を発売した。しかし、このクルマって、一体誰が買うのだろうか?

それで T360 だが、昔友人の家にボロボロになった T360 があって運転させてもらったが、低速トルクは全く無くて、これでもかとブン回さないと走らない代物だった。そりゃそうだろう、最大トルクが6,500rpm なんていうレーシングエンジンばりのモノなのだから。

S360 は販売されずに排気量を500ccに拡大して販売されたのがホンダ初の普通車登録車となる S500 だった。その S500 は 1963年10月に発売されたが、3カ月後の1964年1月には排気量をアップした S600 が発売された為に、S500 の生産台数は極めて少なかった。

それから3年後に発売された軽乗用車の N360 (通称エヌサン) は T360 や S500 とは打って変わって直列2気筒 空冷 OHV というオーソドックスなエンジンを搭載し、それでも当時の軽自動車としては充分な高性能により一躍ベストセラーに躍り出た。N360 のボディーは言ってみればレイランドのミニそっくりでありパクリとも言えるのだが、日本人ユーザーから見れば新鮮だったし、スバル360やマツダキャロルに感じられた軽独特の惨めさが無い処が人気の原因だったような気がする。

実は高校時代に同級生の悪友が N360 を親に買ってもらったので度々乗せてもらったり、運転する機会も多かったが、軽としては高性能とは言うもののカローラクラス、特にツインキャブで多少パワーアップした SL 等と比べると明らかに加速は悪かった。また独特のコンスタントメッシュのマニュアルミッションンはダブルクラッチを使わないと上手くシフトダウン出来ない等、マニアはとも角一般のドライバーには使い辛いクルマでもあった。






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2018/11/13(Twe)  初期の軽自動車<3>

前回1960年代初頭の軽自動車を取り上げたが、今回はそれから2年後の1962年に発売された3車種について纏める事にする。

僅か2年とはいえ当時の進化の速度は速くて、下記の3車はまあ何とか乗用車として使える程度のレベルに達したものだ。

マツダは前回に取り上げたR360 クーペが事実上2人乗りで、ライバルのスバルに大きく水を開けられていた事から、その僅か2年後にキャロルを発売した。このクルマは軽として珍しく4ドアモデルも用意されていたし、スタイルも当時の米国車のトレンドをこの小さな車体に上手く取り込んでいた。

さらにリアに搭載されたエンジンは360cc としては異例の水冷4気筒、オールアルミエンジンだった。これらにより発売直後はベストセラーとなり、結構街中でも走っているのを見かけたものだ。

しかし、4気筒4サイクルエンジンは同排気量の2気筒2サイクルエンジンを搭載する他社のライバルに対して非力で、しかも車重も重かった (特に4ドアは45㎏増し) 事から兎に角動力性能が悪かった。

スズキ フロンテは 1959年に発売されたスズライト バンの常用モデルで、エンジンは空冷2気筒とキャロルに比べれば先進性においてマルで敵ではなかった。しかし翌63年には早くも全面改良されたモデルが発売された。ただし当時はあまり人気がなったような覚えがある。それで当時フロンテの事を「イモンテ」何て呼んでいたものだ。

三菱ミニカは前回取り上げた1961年発売の軽ライトバン 三菱360の乗用車版で、基本コンポーネンを共有している。エンジンも三菱360と全くで、スペックもデザインもキャロルと比べれば魅力は無く、如何にも田舎臭いクルマだった覚えがある。

前述のように、それでも何とか乗用車らしさを保ってきた事もあり、軽自動車は結構ブームになっていた覚えがある。加えて軽自動車は姉妹ブログ「16歳で自動車が運転出来た60年代」で取り上げたように、1968年までは16歳から運転免許証が取得出来る軽自動車免許が存在していて、何と高校生でもクルマが運転出来た事もブームに追い打ちを掛けていたのだろう。




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2018/11/12 (Mon)  BMW X2 <3>

ダッシュボードは一見したところでは X1 と共通のように見える。

そのセンタークラスー拡大してみると‥‥やっぱり X1 と同じだった。

ダッシュボード右端の回転式ライトスイッチも X1 と共通なのは想定どおりだ。

ついでにフロントドアのヒンジを拡大して見ると、BMW ではお馴染みのスチール製引き抜き材を切断したモノをフレーム内側から高張力ボルトで締め付けた構造となっているのも何時もと同じで、何度も言うが国産車の粗全部が板金プレス製である事とは対照的だ。

コンソールとそこに配置される機器類も X1 と同じで、この写真だけ見ても X1 が X2 かの区別は出来ない。そのコンソールの後端のリア用アウトレット付近も X1 と共通化されている。

写真は M Sport のために専用のステアリングホイールを装備しているが、勿論これは X1 M Sport と共通だ。

ステアリングホイールのスポーク付近を拡大すると、左側のステアリングスイッチは殆どブランクパネルになっていた。そこで X1 の後期モデルと比べて見たらば、スイッチ自体は同じだが役割は違うようで、左側もフルに使用していた。

ペダル類は M Sport なのに相変わらずショボいウレタンパッドというのも何時もの通りだ。

結局 X2 はグラスエリアとルーフをクーペ風にしただけで、ウエストラインから下は全て共通で、取り分けインテリは全くの共通だった。それでも主にフロントの樹脂部分とグリルという別部品を新たに起こしても大してコストアップとはならない部分で大いに差別化するという上手い方法を取っている。その甲斐あって X1 との価格差は僅かに 16万円であり、その買い得感が光っている。正直言って SUV のクーペなんて割高で意味が無いと思っていたが、この価格差ならば充分に購入する意義がある。

それでは X3 と X4 の関係はというと、丁度今新型に FMC する移行期であり、新 X4 の価格が判明しないので何とも言えない。X2 のように買い得価格にするのか、それとも X4 では別格として割高にしてプレミアム感を強調するのか、結論を楽しみにしておこう。




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2018/11/11 (Sun) やっぱりバスの事故が多過ぎる

以前から指摘しているが、最近はバスの事故が多過ぎる。加えて一般車の逆走事故が度々報道されている。今回も特別編にてお送りする。

いつものとおり内容は偏向していたり毒舌や嫌韓があったりするために、当サイトの方針を理解できて、この手の話を笑って受け流せる読者専用とします。

方針を理解して特別編に進む



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